キツネと遠近両用めがね

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青空は誰のもの?鳥?虫?     幼い子供?   それとも制空権を争うバカな人間のもの?

ウサギはとっくに月から逃げ出した。

ウサギはとっくに月から逃げ出した。

月からウサギを追い出すな!

月の裏側には何がある?原爆製造工場群、不動産屋の巨大広告

塔?

こっち側にはコミュニティホール、学校と地下シェルター、

議事堂が申し訳程度に建っているが、住民はまだ到着して

いない。何国人はどこに住むか、国境線をどう引くかという

難問が未解決。移住に要する費用〇〇億円一人分をどう工面

する?

こちら地球では、化石燃料を使い切って、空は青いけど、空飛ぶ

生き物の姿はない。

伝説のウサギはどこへ行った?


ムーンビレッジ

ムーンビレッジ

ムーンビレッジ

月が中国軍によって占領支配されたら大変だ!!

というのはあるアメリカ人(共和党支持者らしい)

街頭インタビューでの答え。だから最大限の予算を

軍事費に当てるべきという。…………

ムーンビレッジ構想というのがあるそうで,

これはオーストリアに本部を置く非政府組織

「ムーンビレッジ協会」によって運営され、各国政府

民間企業、個人を問わず月開発や宇宙研究に取り組む

人々のコミュニテイを、月面に

作ろうという計画だそうだ.無論日本からもJAXAを始め,

宇宙生物学会その他の団体,企業が続々と参加するらしい..

以前,民主党政権の発足時に盛んに行われた「事業仕分け」で,

JAXAがやり玉に上がっていたことを覚えているが,たしか

「あまりに費用がかさみすぎる.何も科学分野で世界一に

ならなくてもいいのでは?」という質問が,民主党議員から

出されたのをテレビで見た.

現在JAXAが果たしている役割と業績にケチをつける者は

いないと思うが,一方「カネがかかる」事実は事実である.

まず各国政府主導で,月滞在用のテント(といっても,

宇宙塵の直撃を防ぐ頑丈なシェルターに包まれ,空気や

水,エネルギーその他,人間が生きてゆくのに必要な

あらゆる設備を備えた)からなる村落をあちこちに作り,

それらが集まって一つのコミュニティーを作る.

そこで問題.この構想はすでに50年前から始まって

いたのだそうで,例えば欧州連合の理想がまだ生きて

いた時代だ.只今そこから離脱する国が出てきた.

また世界中に強権主義,軍国主義,「おらの国第一」

主義が蔓延している.科学者たちが如何にがんばって

理想のコミュニティを構想しても,運営してゆくには

莫大な「カネ」が必要.また,とんでもない「宇宙防衛軍」

構想が支配すれば,コミュニテイ=軍事基地と化す.(無論

その裏には軍需産業の暗躍があるだろう)

「理想の人間集落」など,キツネにとっては夢のまた夢.

ならば,地球とともに滅びる方がなんぼか増し.

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2020   5  11

青空は誰のもの?

夕方、友達のタヌキ君がベンチに座って、空を見上げていた。

わたしは「タヌ君、何してんの?」と聞いた。「ラーメン、もう来るはず」

という。要介護度4の彼がどうやって注文したのか?察するに、昼間のテレビ

で、空飛ぶラーメンの素晴らしい映像を見たらしい。

でもキツネは全然面白くない。

この晴れた空をオカモチが飛び交う「素敵な未来へいこう」とは何さ!

この空は空飛ぶ生きものの物じゃ無いのかい。今に爆弾をくくりつけた

無人機が飛び交う空になるんだろ。空を返せ!綺麗な空を返せ!

生花はカジュアルが良い。高価な花瓶や年代物のツボなんか、野草、雑草に似合わない。

生花はカジュアルが良い。高価な花瓶や年代物のツボなんか、野草、雑草に似合わない。

雑ビンと雑草

古色を帯びた竹筒に一輪のツバキ、もいいけれど、 背景に畳敷の床の間が

あって、水墨画なんぞが掛かって いると、キツネは鼻白む。うちには寝床は

あっても、 床の間は無い。京都に行った時に、そう言う環境でも 使える

花生けが無いのかと聞いたら「京都はそう言う 所じゃ無いので……」とか

なんとか言葉に詰まっておられた。 京都だって若い人向けにかなりポップな

小物類を置いてる が、何となく借り物風情。 うちの庭には野草雑草が伸び

放題。ならば雑ビンがお似合い。 食品の入ったガラス瓶というものは、

デザインに力が入って 洗練されている。ご覧あれ。


草地と日本人ーー日本の農業と自然の破壊

草地と日本人

草地と日本人ーー草地は農業にとって敵なのか。

草地と日本人ーー草地は農業にとって敵なのか。

草地と日本人

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草地と日本人  (増補版)   須賀丈 岡本透 丑丸敦史 著

  築地書店  2012年刊   

以下本文より抜粋

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p88  <半自然草原の歴史と草原生チョウ類の分布>

草原における人間活動の歴史は、現在の草原生生物の分布にも痕跡を

 留めているのであるが、このことを信州の草原生チョウ類の分布で

確かめてみよう。

草原生のチョウといっても、広域に分布する普通種と、古い半自然草原

や高山など限られた場所にしかいない希少種とがあり、区別して考える

必要がある。イチモンジセセリは前者の例である。長距離を移動し、

イネの害虫にもなる。夏には高山にもいる。このような広域分布型の

チョウとしては、ほかにも例えばモンシロチョウやキアゲハなどがいる。

これらはいろいろな植物を餌として食べる。イチモンジセセリの幼虫は

イネ科やカヤツリグサ科を食べる。モンシロチョウの幼虫はアブラナ科

を食べ、キャベツやダイコンの害虫にもなる。キアゲハの幼虫はセリ科

を餌とし、畑のパセリやニンジンも食べる。このようなチョウは古く

からの半自然草原に限らず、いろいろな環境に進出していた。

これに対しオオルリシジミは後者の例である。阿蘇と信州のごく限られた

半自然草原にしかいない。九州と本州で別の亜種になっている。幼虫は

マメ科のクララしか食べない。ミヤマシロチョウもこのタイプである。

(中略)

・・ミヤマシロチョウはどちらかと云えば森林性のチョウとされる。

中部地方の亜高山帯に生息する。その幼虫はメギ科のヘビノボラズを

食べる。・・その分布の仕方はオオルリシジミと似て、歴史的に人間

活動の影響を受けてきた可能性がある。オオルリシジミは半自然草原、

ミヤマシロチョウはそれに近い疎林状の場所に住む。

どちらも絶滅危惧種である。

p170  <畦の上の草原>ーー子供の遊び場だったころーー

昭和の中頃まで、野球ができる公園やグランドなどは田舎ではまだ

少なかった。そのため生き物であふれていた田んぼや畦は子どもに

とって貴重な遊び場であり、いつも子どもたちのにぎやかな声が

聞こえる場所であった。群馬県の田舎で育ったわたしは、春から夏

は田んぼへ出かけては、畦の草地でカエルやバッタを獲り、田んぼで

タニシを獲り、畦の間を流れる水路(わたしの郷里では”みぞ”と呼んで

いた)ではドジョウやエビを獲ったりした。また、動物の姿が見えなく

なる秋から冬にかけては、イネの刈り取られた田んぼで野球をしたり、

畦の土を段ボールですべってみたりと、年がら年中田んぼの周辺で

遊んでいた。・・・

生活の中でも、畦の草地を利用することが多かった。わたしの実家では

長年ウサギを飼っていた。わたしはウサギの世話役だったので、鎌を

片手に家の前の田んぼの畦で草を刈ってはウサギに与えていた。時には

ウサギを連れて田んぼへいき、畦で放し、好きなように草を食べさせ

たりもした。当時は、草の種類はほとんどわからなかったが、ウサギは

スイバを好んで食べたのを覚えている。また、春にセリを摘んだり、

ヨモギやノビルをとったり野草を採集するのも子どもの仕事だった。

ネギの仲間のノビルは葉の部分をインスタントラーメンの具にして、

ぽこっと膨らんだむかごの部分はゆでて味噌をつけてたべるとけっこう

うまかった。このような経験はわたしだけがしたものではないだろう。

かつて畦は子どもの日常とさまざまな関係をもった景観であった。

hしかし、近頃では、調査で田んぼへ出かけていっても、畦で虫やカエルを

獲ったりして遊ぶ子ども姿を見ることはほとんどなく、少し残念な思い

がしている。なぜ子供たちが畦から離れてしまったのだろうか。公園が

整備されたことやテレビゲーム、携帯型ゲームが視聴したことが理由かも

しれないが、わたしは田んぼや畦の生き物が近年減ってしまったことも

畦から子どもを遠ざけた理由の一つではないかと考えている。

クワガタ

クワガタ

圃場整備と草地の消滅

P198 <圃場整備による 里草地の危機>

日本国内では、昭和30年代以降の高度経済成長期農村から都市部への

人の流れが始まり、人手の足りなくなった農村では、機械化による営農

への転換を迫られていた。しかし、日本の伝統的水田は、細かく区分され、

一つひとつが小さいものが多く、また水が溜まりやすい場所に作られる

ことが多く、水はけが悪くぬかるため、大型の農業機器を導入することが

難しいものが多かった。また山崎不二夫によると、中世以降江戸時代までに

作られた水田の特徴として、農道と水路が極端に少なく、そのため畦畔の

幅が比較的広く、水は田から田へ掛け流しで、これらの理由で圃場整備

では頻繁かつ強度の草刈りがなされ、草丈が常に低く維持されている可能性

が高いと考えられる。この草丈と植物の種数の関係を調べたところ、西谷

地区の圃場整備地では、草丈が低いほど多年草の種類が少なかった。

なぜ草丈の低いところで多年草草本が減るのか。わたしたちは、草刈の

頻度や強度が強いと多年生草本が繁殖できない(花、果実をつけられない)

という仮設をたて、神戸市北区、三木市で調査した。その結果、圃場整備地

では繁殖(花、果実)の見られた多年生草本の種数が、伝統的棚田にくらべ

少なかった。面白いことに、一年生草本の繁殖種数は圃場整備地と伝統的

棚田の間で差が見られなかった。一般に、一年生草本は植物高が低いとき

から繁殖を開始するものが多く、多年生草本は植物体が大きくなってから

花をつけるものが多い。その結果、一年生草本は刈り込みによって草丈が

低く抑えられても繁殖できるものが多いが、多年生草本は、過剰な草刈りに

よって繁殖の機会が制限されてしまうのであろう。

上述したとおり、適度な草刈りであれば、植物間の光をめぐる競争を緩和

して多様性の維持に貢献するが、圃場整備地における過剰な草刈りは植物の

繁殖を制限することで、多年生草本の種数の減少をもたらしうるのである。

(湿潤な畦畔は植物にとっては都合の良い環境ではあるが)農業の機械化に

とっては不都合な条件となってしまう。また、伝統的な水田は水はけの悪さ

から台風などの大雨後に畦自体が壊れてしまう危険性が高かった。・・・

これら従来の水田の難点を解決し、単位面積・労働あたりのコメの収量を

高めることを目的に1963(昭和38)年以降、国や自治体によって推進

されてきたのが圃場整備事業である。・・・

少し前の2006年のデータであるが、全国で水田の圃場整備率は

60.5%、北海道や福井県では約90%にもなっており、今後もこの

数値は上昇すると考えられる。ここでいう水田の改変とは、主には水田の

大型化(従来10a程度だった個々の水田面積を30〜40aに)や暗渠

排水による乾田化、用排水路のライン化(三面水路などコンクリート水路

へ)、農道の整備、拡幅などを含んでおり、これらを達成するために表土の

取り去りと、大規模な畦畔の改修をふくむ土地改造が行われる。(圃場整備

事業では年間1300億円の国費が投じられた)・・・

圃場整備事業は一般的には土地改良事業と呼ばれてきたが、ここでわたしは

あえて土地改変事業と表現したい。これは”よし”とされることはコメの

生産効率に関してであり、環境面への配慮を考えると、ただ良いことばかり

ではないと考えるからである。

(わたしたちはこの生物にとっての生育環境の変化について、2009年に

西谷地区で、2010年に神戸市北区、三木市において調査をおこない)

圃場整備地と伝統的棚田の水分含量や栄養塩(土壌PHや植物体の窒素

含量)、草丈を測定し、里草地の植生を比較した。・・・その結果、

圃場整備畦畔の土壌水分含量は伝統的棚田と変わらない、もしくは

より多い傾向が見られた。(乾田化が多年生草本の減少をもたらす

要因ではないことがわかる)

一方で、伝統的棚田の畦畔ではPHが6未満程度とやや酸性であったが、

圃場整備地では約6.2〜7.4PHと、ほぼ中性になっていた。圃場整備地

における高いPHや富栄養化は外来種の増加や多年生の希少種の減少など

の植生変化をもたらす要因である可能性が示された。また今回の調査から、

圃場整備地の畦畔では伝統的なものと比べて草丈が低くなる傾向が見られた

松村はこの結果について、凹凸の少ない圃場整備地では、地際の草刈り

がよりやりやすいためだろうと推測している。また圃場整備は(公費以外

にも)所有者の金銭的な負担を伴うため、一般的に整備されていない棚田に

比べて所有者の管理意識が強い。

丘陵地の畑

丘陵地の畑

野火、黒色土、微粒炭

P80  <野火、黒色土、微粒炭>

阿蘇地域では、過去1万年以上にわたって草原が続いてきた。

最近の研究でそのことがわかってきた。この地域はヒゴタイなどの

「温帯湿潤要素」の植物が多く生育する貴重な場所として知られる。

オオルリシジミ、ゴマシジミなどの草原性のチョウの希少種も生き残って

いる。一帯は黒色土が厚く分布する。最近この地域で過去の植生の変化

がくわしく調べられている。先に述べたように、総合地球環境学研究所の

5年間のプロジェクトの一部として、それらの成果がまとめられた。

このなかから植物と人間活動の大きな変化をたどってひろいあげてみよう。

そこから見えてくるのは、人間活動が草原の維持に深くかかわってきた

姿である。  (中略)

外輪山の南西山麓では、約3万年前からササ属の多い植生が広がっていた。

これが約7300年前にネザサをふくむメダケ属の多い植生に変化した。

ネザサは半自然草原に多い植物のひとつである。そしてこの頃、微粒炭が

大きく増加する。つまり植生に火が入る頻度が高くなった。

一方、外輪山の東側では開けた場所で育つススキが1万年以上に

わたって存在した・・・ここでは約1万3000年前から炭が出始め、

約6000年前から非常に多くなる。弥生時代には阿蘇・くじゅう黒色土

地帯に特有のタイプの鉄器を多量にもつ大規模遺跡が多く出現する。(中略)

中世の阿蘇地域は、阿蘇神社の荘園としてその支配下におかれた。当時

「下野狩」(しものかり)という狩猟神事が毎年おこなわれていた。

阿蘇神社によるその神事では、早春の草原に火を放ち、騎手たちが

シカやイノシシなどの獣を追って弓矢で狩った。この神事のあと、

ウマが草原に放牧された。この神事は16世紀までつづいた。

近世の阿蘇では、草原が地域の入会地(共有地)としてつかわれた。牛馬の放牧がおこなわれ、採草地で刈った草が肥料や馬の餌として用い

られた。草の利用権をめぐって村同士の争いが起こることもあった。

20世紀の中葉以降、全国的な傾向と同じように、阿蘇地域でも半自然

草原が減少した。しかし阿蘇地域では今でも採草などによる草の利用が

続いている。火入れ、放牧、刈り取りによる半自然草原の維持が、

観光資源や希少生物の保全を目的として行われている。その結果、

最大規模の半自然草原がここには残されている。 (以下略)

 P172  <畦上の半自然草地ーー里草地>

畦の上の草地を、レッドデータブック近畿2001にあることばを

借りて里草地(さとくさち)と呼ぶことにしたい。里草地という言葉

には、田畑の畦畔(けいはん)だけでなく、溜池や小川の堰堤(えんてい)

や里山林の林縁に成立する草地などが含まれる。

これらの草地は畦畔に隣接もしくは接続する一続きの草地になっていて、

畦で見られる植物も多く生育している。ーー里草地という言葉は

「人里のごく周辺に存在し、人為的な草刈りや火入れによる除草管理が

なされてきた半自然草地の総称」として畦草地を包含する最も適切な

言葉である。  (中略)

元来は、畦は個々の水田に水をためるためだったり、他人の水田との境界

とするため土が盛られ、壊れたら修理され維持され続けてきた。畦は土

だけだと壊れやすいが、植物が繁茂し、畦の中に根を張ることでその

強度が増加する。そのために植被があることは歓迎されるが、植物が繁茂

しすぎると、イネの害虫や病気の発生源になったりネズミなどの住処に

なってしまうことがある。水田が耕作されているときは、これらの

マイナス効果を防ぐために、草刈りなどによって植生の管理が行われる。

戦前までは、刈り取られた植物は農家によっては貴重な資源として利用

されていた。たとえば、農家が個人的に所有する牛馬の飼葉としたり、

緑肥として水田の肥料(刈敷とよばれた)として利用していた。さらに

里草地に生育する植物にはキキョウやリンドウ、ゲンノショウコ、ノアザミ

など薬草として用いられてきたものも少なくない。

しかし、農業の機械科がすすみ、科学肥料や市販の薬が流通する近年では

このような里草地の草本の利用はほとんど見られなくなった。

徐錫元と城戸淳が1996年におこなった関西圏(滋賀、京都、兵庫)

の農家へのアンケート調査の結果によると、畦を管理する理由として

「農作業の妨げになるため」「病虫害の発生源になるため」をあげた人

が多く、「まわりに迷惑だから」「みっともない」「雑草の種の水田へ

の侵入を防ぐため」という理由もあげられていた。 (中略)

以上述べてきたように、今からほんの100年ほど前には、現在からは

想像ができないほどの広さの草原的な景観が日本各地に広がっていた

のである。そして、第二次世界大戦後の高度経済成長が進みつつあった

昭和30年代頃まではそうした景観、またそれを維持するような人々の

営みが日常として行われていた地域があったことが・・・日本各地で

行われている里地、里山に関する数多くの研究から読み取ることができる。

「使いながら守る」というような考えが必要なのかもしれない。

現在の、これからの取り組みについては、1995年から行われている

全国草原サミットのシンポジウムなどで、情報の発信、共有が図られている。

こうした取り組みを継続することによって、これからの草原との付き合い方、

そこに住む生物の保全の仕方を明確にしていくことができるのではないか。

ワレモコウ

ワレモコウ

米作の効率化を錦の御旗に拡大し続ける圃場整理事業においては、耕作効率だけでなく、生物多様性保全にも配慮した取り組みが必要となる。

圃場整備地では、水田環境整備後も長く維持され続けるよう期待されている

ため、一度生物環境が破壊されてしまった圃場整備地に希少種を含めた

生物多様性が戻れる環境を作り出す努力が必要である

農林水産省では「環境との調和に配慮した事業実施のための調査計画・実施

のための手引き」を作成し、圃場整備地において生物多様性の復活を促進

していく姿勢を見せている。その中では、環境配慮型の圃場整備を行う

ために、生物相などの調査→調査結果を踏まえた環境保全目標の設定→

保全対象生物の設定→整備エリアの設定→その地域の特性を考慮した具体的

な配慮対象の検討→環境配慮に関わる維持管理計画の策定を事前に行い、

所有者や自治体および設計施工担当者の間で十分に検討することを求めて

いる。また、設計施工については、新しい技術を用いながら目標を実現

するために柔軟に対応すること、さらに施工後には環境モニタリングを

続け、その結果に基づく順応的管理を行っていくことを推奨している・・

この手引きでは、動物と湿地性の植物が保全の対象として書かれているが、

里草地の草原生生物の保全も積極的に意識さるべきである

この手引では、動物と湿地性の植物が保全の対象として書かれて

いるが、里草地の草原生植物の保全も積極的に意識さるべきである。

(中略)

動物と湿地性の植物が特に大規模(大面積)に行われる圃場整備事業は、

対象地域生物を根こそぎ取り去ってしまうために、圃場整備が完了した後

も生物が圃場に戻ってくることができなくなってしまい、繁殖力の強い

外来生物などが優先する生態系を作り出してしまう可能性が高い。

(中略)

 圃場整備にあたっては、植物の地下茎や休眠種子などが残る表土を別の

場所に保存しておき、畦が整形された後に、その上に戻すことができれば、

植物相の復活は早まるであろう。


わたしたちがこれまで調査してきた西谷地区の圃場整備地の中には

ごくわずかではあるが、畦畔にキキョウやミズギボウシ・

キクバヤマボクチ・ワレモコウなどの希少な植物が復活している

場所があった。・・・

溜池の堰堤や林縁の里草地は圃場整備によって改変されておらず、

そこに生育する植物が種を飛ばすことで、林縁や溜池から近い畦

でのみ希少種が復活しているようである。圃場整備の際に溜池や

林縁の堰堤は最低限手をつけずに残し、そこを整備後の希少生物の

種子源として機能させるようにする必要があると考えられる。

(中略)

20世紀半ばに生物多様性の中で育った子どもたちの多くは鉄腕

アトムに描かれた21世紀を理想としてきた。しかし、20世紀に

失ったものの大きさに気付かされた今、わたしたちはかつてと違う

21世紀像を持たなくてはならいのではないだろうか。

水田は日本人の主食となってきたコメを生産する場であったが、

同時に多くの生物を育む日本の生物多様性の中心地でもあった。

その生物多様性は日本人の原風景の一部となっている。

ヘイケボタルやアキアカネが飛び交い、多様なカエルやバッタ類

が鳴き交わし、ドジョウやフナ類が泳ぎ回る、畦にはオミナエシや

キキョウが咲き誇る水田に郷愁を感じる人は少なくないであろう。

・・・水田環境や里草地における生物多様性の減少スピードは

非常に速いため、その保全には、できることからどんどん始めて

いかなければならない。子どものあそぶ姿が見られる水田・里草地

を22世紀にも残すために、そんなに時間の猶予はないように思われる。


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「キツネと遠近両用めがね」の4つのサイトをご案内します。

1️⃣  https://kitunemegane.simdif.com

       <昔の日本人はカッコ良かったって本当?>

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        <青空は誰のもの?>


どうぞよろしく

カラスウリの花

カラスウリの花

野草はどこへ?

キツネがこの地へ移ってきたのは30年前だが、

切通しの崖の上から、大きなヤマユリが

垂れ下がって咲いていたり、草原には身の丈

5センチほどの筆リンドウが

みつかったり、造成地の側溝の泥の中にさえ、

黄色のアキノノゲシがはびこっていたり、

野草好きにとっては天国だった。

丘の上まで宅地化した現在では、野菜の支柱

にする笹竹(タダで勝手に採ってもよかった)は

手に入らず、店売りのビニール竹を使うしか

なくなった。そして昨今では、庭を雑草だらけ

にしておくのは“大罪“で、通りがかりの人から

注意されたり、で、日に当たる地面は高級外車

の展示場となっている。

何のために郊外目指してきたのやら。




蒔かぬ種も生える


ここの地面は、灰色の粘土質だったので、どこからか売りに来た赤土を

大型トラック一杯、狭い庭に敷き詰めた。すると、何やら見慣れない

野の草が勝手に芽を出した。蒔いてもいないのに?まるで土を求めて

彷徨う「雑草難民」だとキツネは思った。蒔かぬ種は生えぬと言うが、

そうじゃない。

夏の野原から消えたもの

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